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小説「祖父と私」


テスト前になるとどうしてもおじいちゃんが思い出される私←

大急ぎでかいた小説なので、いろいろ無茶苦茶です←

誤字・脱字教えていただけるとうれしいです♪

漫画でも絵でもないので、

興味ある方だけどうぞ!!!

追記でいきなり本文です(^^)

ノンフィクション↓













「祖父と私」


 私が人に自慢できること、と言ったら、なによりも祖父のことだろう。私の祖父は、眼鏡をかけており、頭がさみしい、ふくよかな人だった。ふくよか、と言っても全然嫌な感じがせず、むしろ清潔でさっぱりしてやわらかかった。漫画に出てくるような優しい「おじいちゃん」だった。
 聞いたところによると、祖父には兄妹がたくさんいたので、かなり両親にほっておかれたようだ。祖父は六男で、一男と二男の頭がずばぬけて良かった。だからその他は特に注目されなかったのだろう。そうして祖父はかなり自由気ままに育ち、働き出した。そこからがすごい。かなりの人が聞いたことはあるだろう、ある造船会社の総務取締役にまでなったのだ。そうして働いて、着実にお金をためて、結婚し、父が生まれた。池までついた家を買い、大きな鯉を何匹も泳がせた。父は一人っ子だったが、かなり厳しく育てられ、そのかわりに、外では自由に振舞う人になった。父は母と結婚し、私が生まれた。

 煙が顔にまとわりついた。私は小さな手で煙を払いのけながら、せき込んだ。祖父は静かに外に出て、それから、家で煙を見ることはなくなった。
 これが、私の一番昔の記憶。祖父はヘビースモーカーで、今まで祖母にかなりぐだぐだと言われ続けてきても、たばこをやめなかった。それなのに、私が咳をした次の日から、祖父は完全に禁煙した。「たばこ」の意味を知ってから、この話を聞いて、私は嬉しかった。
 祖父は初孫ということもあって、私をとてもかわいがってくれた。絵で賞をとっては誉められ、いい成績表を見せると誉められ、夏休みだの冬休みだのに祖父の家に行ったときは、すごいスピードで宿題をして誉められた。祖父に誉められるとどうしようもなくうれしかった。私には二つ違いの妹がいるのだが、昔から私の後ばかりつけていたので、私に頼ってばかりで、成績も私ほどよくはなかった。祖父は私の成績表と妹のを見比べて、苦笑いすることも多かったが、基本的に二人平等に誉めてくれた。
「前よりあがったね。」
「すごいなぁ、クラスで一番じゃろう。」
 といった具合に。私はもうすでにこのころから、嫌な一面を持っていた。「妹よりも、もっと私を褒めてほしい。」と、ずっと思っていた。昔から少し他の子より考える面があったので、本当にかわいくない子供としか言いようがない。とにかく私は妹に負けたくなかった。妹より常に先にいないと嫌だった。祖父はこんな私の内面には気づかなかった。
 祖父の趣味はかなり多い。家事は洗濯以外ほとんど好きで、祖母より家事をしていた。庭の手入れも毎日かかさず、いつもぴかぴかだった。車に乗るのが好きで、よく買い物に連れて行ってもらっては、「ゲームをしたい」と妹と駄々をこねた。祖父は祖母にとめられているので、そう簡単にさせないようにしていた。私は妹と
「いつものおじいちゃんじゃな~い。」
 と言って、いつも三百円ぐらいもらっていた。
「おばあちゃんには内緒。」
 といって祖父はにこにこしていた。私達のゲームの上達を見るのが楽しかったようだ。もちろん私達はお金をくれるから祖父が好きなわけではない。私達の考えと、祖父の考えが似ていたのだろう。私達は、思うことは大体父に似ていた。父は祖父譲りの考えの持ち主だった。かわりに、私達は祖母には全然似ていなかったのだ。
 私達が祖父の家に行くと、祖父はほぼ毎日、私達を車に乗せて買い物に行った。私達はそこでほぼ毎日ゲームをした。帰り道には本屋さんへ寄ってくれた。妹とガチャガチャのチェックをするのも楽しかった。家に帰ったら、テレビを見たり、庭で遊んだ。庭をひとまわりするだけで楽しかった。虫はそのころ、怖くなかった。夜になると、祖父が「何を食べたい。」と言ってきた。祖父の料理は誰よりもうまかった。お店で食べるのよりおいしかった。私達は毎日、すき焼きだのお好み焼きだの、好きなものを作ってもらっては、すごい量を食べて祖父を喜ばせた。

 そんな生活が狂いだしたのは、たぶん私が中三になったばかりの頃だろうか。祖父の肺が悪くなっていることを聞いた。肺の下半分が、ほこりかなんかでつまってしまっている、と父から聞いた。年中咳がでるらしい。私は驚いた。祖父はずっと健康で、元気だろうと思っていたから。しばらくして長期休暇になったので、祖父の家に行った。祖父は、確かに咳をしていたけれど、いつも通りで元気だった。私は内心、「なぁんだ。」と思った。「やっぱり、おじいちゃんは元気なんだ。」それでも祖父は私達に病気の話をした。
「肺の下が使えてない、死ぬ時は、肺が機能しなくなって、だんだん息ができなくなって、死ぬんじゃ。」
祖父が、「死ぬ」という言葉をよく使うようになった。私達はこのころ、大馬鹿だった。「そんな大げさな。」二人とも、無言のうちにこんなことを思っていたのだから。祖父は何度も私達にこの話をした。私達は、聞き流した。
 車で買い物に連れて行ってもらった。祖父は車に乗ると咳の回数が増えるようだった。一度咳がでると、何度も繰り返し咳をした。私達は黙ってそれを見ていた。背中をなでると喜んでくれた。そうこうしているうちに、休暇は終わった。私達は家に帰った。
 私は中三、妹は中一だった。私は受験生だったわけだ。私は確かに平均より上の点をとれてはいたが、一つ上の高校にするかどうかで、もめた。塾には「全然大丈夫です。」といわれた。学校では「一つ下げたほうが、絶対です。」と言われた。私は疲れ出した。それなら、一つ下げちゃえばいいと思った。上の学校は、確かに頭は良かったけど、楽しい話は何一つなかった。勉強ばっかり、とか、行事が全然たのしくない、とか。でも、親は承知しなかった。「高校は大学にすごく影響するんだから。」「行ける見込みがあるから、上に行ってよ。」うるさかった。別に頭がいい学校だから、なんなんだ、と思った。考えの幼い私は大学なんて、全然考えてなかったのだ。なりたいものもなかったし、何をする気もない。将来なんて、どうだって良かったのだ。好きなことすら、わかっていなかったのだ。
 いろいろと言われるうちに、なんだか私が私でなくなっていく感じがした。学校も寝てばっかりだし、部活も好きでない。楽しくもなんともない。勉強は塾のほうがわかりやすく教えてくれるし。友達も、とくにたいしたことを話すわけでもない。家に帰ったら、勉強、勉強、勉強。ピアノを三十分ひいても怒られないのに、パソコンを十分たちあげたら怒られる。矛盾ばっかりの毎日。いらいらがつのって、泣いたこともあった。私はプライドがとにかく高かったので、決まって自室に鍵をかけて泣いた。
 その状態の中、祖父から毎日電話がかかってきた。
「こんばんは、こちらおじいちゃんです。」
 好きなものもなかった私は、ストレスの出しどころがわからず、周りにあたった。とにかく馬鹿だったとしか言いようがない。のんびりした電話にいらいらして、すべてぶっきらぼうに話してはすぐに切っていた。祖父の咳がひどくなっているのも、気にしなかった。妹も、私がいらいらしているのを見て、機嫌が悪かったので、同じ感じだったのだろう。

 また休暇に入って、祖父の家に行った。祖父が、小さくなっていた。背だけじゃない。腕も足もおなかも、やせてしまっていた。腕のたくましい筋肉は、どこにもなかった。そして、常に酸素ボンベを持っていた。
 驚いた。はずなのに、私は冷静だった。何を考えていたのかわからない。とにかく疲れていた。祖父は庭にあまり行かず、じっと自室のいすに座って、庭をながめていた。酸素を配給している音が、私は今でも耳から離れない。車も乗らなかった。父がたまに祖父の車を運転して、祖父を乗せてやると、静かに外の景色を眺めていた。
 ある日、祖父に「庭の掃除をしてくれ。」といわれた。私達は、本当に冷めきった心でこれを受け取った。二人で庭に出て、祖父が指示をして、私達が動いた。今考えたら、祖父は私達にもできるような、はっぱを拾ったりするような、そんなことさえもできなくなっていたのだ。私はそれに気付けなかった。最低の孫だとしかいいようがない。さらに、私はこのころ虫がどうしても怖くなっていた、これは今もだが、蚊すら叩けなくなっていたのだ。その中での庭掃除は、ただの恐怖でしかなかった。妹と、終始ぶつぶつ言っていたことしか覚えていない。そもそも私はちゃんとはっぱを拾っていたのかも、危いほどだ。祖父はなんと思ったのだろう。今の私が横にいたら、と、考えずにはいられない。

 しばらく、短くても休暇になっては祖父の家に行くようになった。
 祖父は、こんな話をするようになった。
「人というものは、することを終えたものから、神様のところへ行く。おじいちゃんは、とっても幸せな人生だった。今、みんなが優しくしてくれるのは、おじいちゃんがやることをやったからだ。おじいちゃんは、もう、頑張って生きた。ずーっと、自分のすべきことをしてきた。」
私と妹は、交互にこの話を何度も聞かされた。私はなんてひどい孫なのだろう。この話を聞いても、なんとも思わなかったのだから。なんだかいつもと違う祖父が怖いと感じることもあって、私はほとんど返事をしなかった。うなずくだけで、話が終わるのをひたすらに待っていたのだ。妹も私も、あきあきしていた。
 ある日の夜、祖父が料理を作ると言ってきかなかった。何が食べたい、と言われて、私達は「お好み焼き」と言った。祖父は嬉しそうに台所へ向かったが、長時間立つこともできなかったので、横で祖父がつくるのを手伝った。お好み焼きは、基本、焼いて、ひっくり返すだけだ。祖父のお好み焼きは、いつも厚さ、形、焼き加減、どれをとっても完璧だった。祖父が私達のいるリビングに持ってきたお好み焼きは、いつものそれとかけ離れていた。私達はあまり食べられなかった。祖父がお好み焼きすら満足に作れなくなっていることに、驚いたからかもしれない。それでも祖父は私達が食べるのを、うれしそうに見ていた。私達は何も言わずに、食べた。
 あるとき、祖父が環境の整えられた自室から出てきて、寒い私達のいる部屋へやってきて、一緒にテレビを見ようとした。酸素ボンベをひきずりながら、私達の部屋に入ってきたとき、父と母は「どうしたの。」と聞いた。祖父は「こっちのほうが、みんないて、楽しい。」と言った。祖父は楽しいことが好きなのだ。いろんな人が好きなのだ。みんなの声の中にいることが好きなのだ。祖父の部屋にはなかった。私はそれに気付かなかった。きっと、自室でテレビを見ながら、私達の声を聞いていたのだろう。笑い声を、聞いていたのだろう。私はどうしようもなく、悲しくなった。でも、なぜか悲しいのかわかっていなかった。隣に座っている祖父がとても小さかったからかもしれない。私の手をにぎっている手がかさかさだったかもしれない。祖父は私にこういった。
「初恋は、いつだった。」
ただの人が聞いたら、変なセリフを言うな、で終わりだったかもしれない。でも私は、このとき泣いてしまったのだ。あのプライドの高い私が、みんながいるなかで、涙が落ちるのを我慢できなかった。
「幼稚園、」
私は言いながら、なんで泣いてるんだろう、と思った。重ねていくつか質問されたけれど、覚えていない。私はこのとき、祖父が崩れ去った気がした。祖父は、私達の「おじいちゃん」だった。完全に、孫として私達を見ていた。こんな質問を、しなかった。それまでの行いを、私は後悔した。祖父は、私が泣いていることに気づかなかった。

 祖父が入院した。私達はすぐにお見舞いに行った。夜中のことだった。私達がかけつけたとき、祖父のベッドが部屋から出されていて、祖父が看護婦さん達に押さえつけられていた。祖父は、あばれていた。祖父は私と同じに、プライドの高い人だった。一度会社にいたころの部下に会って、その人がいろいろはなしている間、祖父はずっと咳をしなかった。我慢していた。家に帰ってから、しんどそうに、ずっと咳をしていた。その祖父が、他の人に迷惑をかけることを嫌う祖父が、あばれていた。
「いやじゃ、いやじゃ。」
 と、叫んでいた。怖かった。悲しかったのではなく、怖かった。もう、私の冷徹な目では、祖父とは思えなかったのだ。怖くて怖くて、涙が出た。あふれてどうしようもなかった。祖父が鎮静剤を打たれて、静かになった。祖父の手をにぎって、私は泣いた。泣いていたのは、私だけだった。
 祖父はそれから、ほとんど植物状態だった。息だけを、必死にしていた。ずっと口をあけて、すぅ、はぁ、という音が常に漏れていた。私はそんな祖父を見るのが嫌で、あまり病室に行かなかった。
 ある日、祖父の意識が戻った。口がまともに閉められず、話すのも大変そうだった。私達は二人でベッドの横に立って、祖父を見た。祖父の目が動いて、私達をとらえた。祖父はいつもと変わらない微笑みを見せた。祖父の手が私の手を握った。弱弱しかったけど、うれしい、と思った。祖父ははっきりと私達に言った。
「自分の道をしっかり歩んで、後悔のない人生を、生きてください。」
 私達は、返事ができなかった。ただ、うなずいただけだった。どちらも、「うん」すら言わなかった。祖父はそれから、意識が戻ることはなかった。

 私はいよいよ受験だった。そんなとき、「おじいちゃんが危ない。」という話が出て、私達は病院へ行った。祖父はかわらずに、息をしていた。
 その夜のことだった。祖父の部屋に出入りする看護婦さんが増えたな、と思いつつソファで寝ようとしていると、「ピンポーン、ピンポーン」と嫌な音が何度もした。私は起きて、祖父の部屋に入った。お医者さんがいた。祖父にまたがって、心臓マッサージをしていた。恐ろしかった。祖父につないである機械の数字が、次々に、減っていく。今まで一定だったものが、なくなっていく。どんどん、なくなっていく。怖い、なんで、怖い。私は何もできず、横に立って、ただひたすら泣いていた。祖父を思って泣いていたのではない。「死」というものを、身近に、大きく感じて、どうしようもなく恐ろしくて、泣いていたのだ。
 祖父は、死んだ。

 お葬式は、祖父の遺言で、「身内だけですぐに」終わらせることになっていた。しかし、そうはいかなかった。どこから情報が行ったのかはわからないが、たくさんの知り合い、部下が来た。いろいろなお偉いさんから、たくさんの花が届けられた。祖父の人柄の良さが、こんなにも人を引きつけていたのだ。
 父も母も妹も、結局一度も泣かなかった。父は、お葬式の最中に、「おじいちゃんの顔、見ないのか。」と言ってきた。私達は、「あんなの、おじいちゃんじゃない。それなら、あの遺影を見るほうがよっぽどおじいちゃんだ。」と言って、あまり祖父を見なかった。それは、あまりにも白かったし、笑っていなかった。なにより冷たく、かたかった。あれは祖父ではなかった。

 お葬式が終わって、家に帰った。私は、一人で、祖父の部屋に入った。そのときだった。どうしようもなく泣けてきたのは。涙が出て、出て、悲しくて、苦しかった。祖父の部屋に、誰もいなかった。きれいにたたまれたベッド、酸素補給の機械、大きなテレビ…。すべてそろっていた。なのに、祖父はいなかった。祖父だけがいなかった。私を引きとめて、手を握る祖父がいない。庭を掃除する祖父がいない。ガレージに車があるのに、運転する祖父がいない。料理をしてくれる、祖父がいない。あの優しい祖父がどこにもいないことに、私はようやく、気がついた。私はこのとき初めて、「死」がどういうことなのか知ったのだ。もう、祖父の料理は食べられないし、車にも乗れないし、頭をなでてもらえないし、触れない。それは気付くのがあまりにも遅かった。私は祖父を心から愛していたし、尊敬していた。それを伝える相手は、もういなかった。私は自分の愚かさに気付いた。どうして、祖父を助けようとしなかったのだろう。どうして、返事をしなかったのだろう。あぁ、私は、馬鹿だった。
 その後、私は高校受験をした。例の一つ上の学校だ。私は口で何と言おうと、内心ではなぜだか大丈夫な気がしていた。何が大丈夫なのかも、よくわからなかったのに。

 私が人に自慢できること、と言ったら、なによりも祖父のことだろう。私の祖父は、私に「私」を取り戻してくれた人だ。私はまだ幼くて、祖父の行ったことすべてを理解することはできない。きっと祖父が最後に出した答えだから、私にはまだまだわからないだろう。でも、私がもし、私の最後にそう思えたなら、祖父と同じことを思えたなら、きっとこの上もない幸せだろうと、高校生になった今、思っている。



最後に、おじいちゃんへ。大好きでした、ありがとう。


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Re: なんか

→鍵コメの方♪

まさかのコメントだったわ…ありがとう!!!!m(__)ノシ
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